写真をするということ
「こだわり」というのは、一種胡散臭いものだ。
そのことに興味のない人には、聞かされたくもない話だ。
写真については、デジカメの普及と進化でこだわらなくても勉強しなくても
撮りたい写真に限りなく近いものが撮れてしまうようになった。
かわいい写真・・かっこいい写真・・きれいな写真・・
しかも、モードやアプリなんかあるからレンズやカメラを買わなくても
いろんな種類のカメラの特徴も表現できてしまう。
なぁ~んか物足りないような気がする・・
フィルムやレンズや印画紙を研究して、自分に合ったものを探し出して、
自分の表現をしようとすることは「写真を撮る」だけでなく「写真をする」という感じがした。
確かに面倒くさかった。
自分の表現を見つけ出す前に、技術だけでなく、道具や材料のことも知る必要があった。
なかなか楽しむまでにたどり着けないところもあった。
でもそんなことを飽きることなく話し合うのも楽しかった。
最近また暗室を再開している。
悩んだり、わからなかったりしたとき相談できる人がいなくなってきた。
そう考えるとやらなければと思ってしまう。
もちろん自分が撮ってる写真なんて、暗室にこだわらなくてもデジカメでも表現できるのかもしれない。
本当は、そっちをもっと研究するべきだと思う。
行くべき方向でない方向に行っているのかもしれない。
なのになぜやらなければと思ってしまうのか。。
自分にとって「写真をする」ということが、
表現したいものを見つけて、写真を撮って、そしてその表現にあったプリントをする。
その3点がセットになっているから。
そして、それが苦しくて、楽しいから。
「写真をする」のが好きだから。
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コメント
あけましておめでとうございます。
「写真をする・・」
という言葉の選択が好きです。
写真を一般化とうか、誰もが気軽に楽しむって面では、
ここ最近のデジカメやi-phoneはホント進化した面白いものになってますよね。
メーカー主導ではあるけど、ベースには昔からある、すごくアナログな発想が活かされてる。
まぁ、それでもやっぱフィルムが好きだなぁ。
色味もそうだけど、ここってときのあの緊張感は捨てがたい。
どうぞ、今年もよろしくお願いします。
投稿: takamuseum | 2011年1月 3日 (月) 18時18分
takamuseumさん
コメントありがとうございます!
「写真する」という言葉は、植田先生も使っていました!
「写真を楽しむ」というのとは、またちょっとニュアンスがちがいますよね。
でも両方とも私は好きです。
いろんな方向から写真と関わっていきたいなぁーと思います。
今年もよろしくお願いします\(^o^)/
投稿: 悠華 | 2011年1月 4日 (火) 22時25分